成功例

ぎりぎりセーフ!「成功」を引き寄せた経営者の判断

名称 翻訳サービス業 丙社 設立 1980年代
従業員数 12人 資本金 1,000万円
売上規模 約3億円 経営者年齢 63歳
主な資産 事務機器 株式 代表者50%、取締役50%
事業内容 IT・半導体・電子機器・自動車等の分野を中心とする技術翻訳

※情報はいずれも事業承継前の内容

【背景】

社長と取締役は一蓮托生。ビジネスも人生もパートナーとして歩んできた。新卒で入社した総合商社で知り合い、二人で独立を決めたときに結婚も決めた。
「夫が営業担当で私が翻訳担当。私たちのスタイルは当時では珍しかった」と、二人で翻訳業をスタートさせたときのことを社長は懐かしむ。社長が前職で身に付けた翻訳スキルを、取締役が前職の人脈に売り込んだ。その後、バブル期の到来にあわせ、取締役の丁寧な営業スタイルが追い風となり、取引数は右肩上がりに伸びた。専門分野の翻訳という付加価値のため、出版やセミナー講師の誘いも増えた。さらに、成長するにつれて「丙社を買いたい」という話も何度かあった。「時代の最先端を走っている感覚だった」と社長は笑う。業界内で丙社の知名度が上がると、さらに紹介や口こみで仕事が増えていった。

【成長から停滞へ】

片手間のつもりで始めたセミナー講師業が評判となり、自社でも翻訳者を目指す人を対象にスクールを開き始めた。セミナー講師業で指導のコツを掴んでいたことで、「丁寧な指導が受けられるスクール」として生徒が集まり出した。実力のついた生徒は、そのまま丙社の正社員に登用したり、契約社員となって翻訳を委託できるようになった。出来高制で給与を支払える契約社員が増えたことで、丙社はさらに成長した。
しかし、設立して20年経った頃から少しずつ状況が変化し始めていた。この時期を境に売上は頭打ちになっていた。取引数は増えるが、利益は減少するばかり。「インターネットのインフラ整備が整うとともに翻訳サービスを手がける競合企業やフリーランスが増え、業界全体の受注単価が明らかに下がっていた」と丙社は分析する。専門分野で高い翻訳スキルを売りにしていた丙社の受注単価は、じりじりと低下し始めていた。
さらに2008年のリーマンショック以降は、ひいきにしてくれていた大手企業の「経費削減」による受注減少のため、全体の売上も利益も激減し始めた。「取締役一人の営業力には限界があった。わずかな正社員の他はほとんどが契約社員。これまで仕事はあるのが当たり前だったので、ハングリーな雰囲気が社内になかった」。夫妻はこのときまで、早急な組織改革や営業戦略の必要性を感じていなかったと言う。
そもそも以前から、PCとネット普及による影響はあった。翻訳は不完全でも、文章の主旨が判明できれば十分という場合は、市販翻訳ソフトに完全に顧客を奪われた。また、丙社は熟練の契約社員をつなぎとめるために、出来高歩合制の給与を賃上げした。しかし依頼数が減っている状況で、売上増加への対策にはならなかった。さらにこの頃、以前より検討していた新たなソフト導入のために数千万単位の投資を決めた。長年付き合ってきた銀行からは厳しい審査もなく融資が受けられたものの、この投資が成功して売上が改善しなければ厳しい現実が待っていることは容易に想像できた。

【リタイアへの障壁】

社長夫妻は独立して間もない頃から、どんな老後を過ごすかという計画があった。会社が順調に成長している頃に購入した軽井沢の土地に家を建て住みたいと思っていた。
しかし、夫妻はリタイアを決意する上での障壁をこう語る。「会社と従業員は私たちにとって子どものような存在。永遠に面倒を見てあげられないからこそ、安心して手放したい。でも、どうやって…」。
社長夫妻には二人の子どもがいるが、いずれも女の子だった。学生のうちに語学留学がしたいと長女が言い出したときは、「長女は後を継ぐ気があるのかも」とわずかに期待した。しかし、その後長女は、地方の病院に勤務する医師と結婚した。家庭や子育てを考えれば、長女に丙社を任せるのは難しかった。一方、次女も語学留学をしたが、帰国後は大学に残り、講師の職を得て研究を続ける様子であった。
跡を継いで欲しいと思うと同時に、子どもには好きなことをさせたいという葛藤が、「そうはいってもまだまだ自分たちだけでやれる」という気持ちにすり替わっていた。そして夫妻は後継ぎの問題を棚上げにしていた。

【決断】

いつものように送られてくる多くの郵送物に目を通していると、今まで気にもしていなかったM&A仲介会社からのDMが目にとまった。「そろそろ、どうするか考えはじめなければ…」と面談を設定してみた。
「今すぐには検討する必要はない」と思っていたが、話を聞いてみると「事業承継に対しては早めの準備が大切だ」と仲介会社の担当者に言われ、社長はわずかに動揺したという。「売りたい、買いたいって、スーパーの商品みたいにはいかないことはわかっていました。でも以前も他社から売却のお誘いがあったので、その気になれば売れるんじゃないかって、どこかで思っていました」。
丙社の社長夫妻は、ここで決断をした。仲介会社に売却希望を伝え、もし条件の合う会社があれば連絡をもらうことにしたのだ。そして、紹介されたうちの一つが、業界に新規参入を検討していた上場企業丁社だった。

【事業承継の成功】

丁社を紹介されてから順調に話が進んだわけではない。丙社はここ数年に売上減のため損益はマイナスが2年間続いていた。また、最大の資産である社員が不安を感じて退職してしまうと丙社の価値はなくなってしまう。
丁社と1年弱の交渉期間中、最後の力を振り絞った営業活動を展開し、社員の士気を高める取組みも行った。また、不用意に不安を煽らないように情報の機密性にも慎重に対応をした。ピーク時の売上から大きく減少しており、純資産も減らしていたため、価格だけをみれば売却のタイミングとしては2~3年遅かったと考えられる。しかし、売却できるギリギリのタイミングであったともいえる。社長としては、価格以前に社員が安心して丁社に引き継がれたこと、自身は経営という重責を果たして引退したことで晴れ晴れとした表情を見せる。
売却後、数カ月間をかけて慎重に顧客の引き継ぎを行ったため、既存顧客との関係は安定している。丙社を子会社化した丁社は、できる限り独立性を保ちながら少しずつ丁社の社風になじませる方針で一体化を図ろうと考えていた。また、丁社は全国に営業拠点を持っており、丙社では不可能だった全国展開が期待できた。売却後の引継ぎを終え、夫妻は軽井沢の住居の設計を着実に進めている。

教訓

・売上・利益が“下がり始め”の頃は、「売却はもったいない」、「まだやれる」という想いが強くなるが、状況は急速に変化しやすい。やはり早めの検討が必要。
・良い情報も悪い情報であっても、“漏れた情報”は、様々に変化して社員の不安を煽る。社員のためにも情報の取扱いは最新の注意が必要。

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