失敗例

売却決断後に沸き起こった迷いが、後々致命傷に

名称 食品加工会社 甲社 設立 1970年代
従業員数 30人 資本金 5,000万円
売上規模 約6億円 経営者年齢 50代
主な資産 工場・機械設備 株式 代表者63%、役員10%、その他27%
事業内容 天然原料を用いた食品加工受託

【甲社】

甲社は創業者でもある前社長が起こした会社だった。前社長は大手食品メーカー在職中に5年かけたプロジェクトで新しい食品加工技術を開発した。しかし、最終的に会社は他の技術を採用し、前社長は自身の特許技術とともに甲社を起業した。前社長は技術者であるとともに、営業センスにも優れ、自社技術を売りに少しずつ収益を伸ばしていった。

【後継者になる】

長男は大学卒業後、県内の食品会社に勤めていたが、33歳の時、結婚して自ら父親の経営する甲社に入社した。ある朝、長男がいつものように出勤の準備をしていると、電話が鳴った。それは父の急逝の知らせだった。毎朝日課にしている犬の散歩途中で、突然胸を押さえて倒れたという。心筋梗塞だった。「会社は私が継ぎます」長男は慌ただしさの中、銀行や取引先を回った。何とか後継者として会社の体制は整わせることができた。
しかし、甲社の設立から40年余り。時代は変わっていた。自社技術の優位性は既に薄れてしまい、甲社の年商はピーク時から5年弱で半減していた。長い付き合いの取引先も、担当者の代替わりと経費削減の影響が出ていた。そもそも以前から品質にこだわる商品が市場から減っているように思われた。
さらに新社長に追い打ちをかけるように、甲社がメインとしている小ロット用の設備では製造できない商品が市場で流行を見せた。また、商社やメーカーはこぞって海外に目を向けるようになった。仕方なく甲社は既存商品の単価を引き下げてなんとか数を確保しようとした。だが、売上は毎期下がり続けた。社長は役員報酬を含めて、自分の年収を200万円にまで絞った。

【売却検討から一転、復活へ?】

背中を押したのは父親の代からお願いしている税理士だった。「いずれにしても早めに相談をしておいたほうがいい」と、売却の検討を薦められた。早速、税理士に紹介されたM&A仲介会社に相談し、数週間後には数社の譲渡先候補を紹介された。話が具体化するにつれて、終始社員の顔が頭から離れない。「社員は、売却を判断した自分をどう見るのだろうか。しかし、会社が立ち行かなくなっては、元も子もない。社員のためだ」と自分に言い聞かせた。
そんな時、大手食品メーカーとの試作品開発プロジェクトが思いがけず動き始めた。開発商品が海外の評価を受け、大口の取引きにつながったのだ。ピーク時に追いつく売上が見込まれた。長期取引の条件として、質を担保するため外注を使わず甲社のみで製造する取決めをし、年間計画を立てて他の受注も調整した。先代が育てた技術が海外にも認められたと、社員みんなが湧いた。この契約により銀行から新しい融資も受けられた。

【予期せぬ出来事】

自力で復活できるのではと思えた。M&A仲介会社に説明すると、「本当に好転する目途がつくまでは、並行して売却の検討をした方がいい」と説得された。迷ったが、自力で復活するためにも事業に集中したいと考えた。
しかし、大口取引となった新商品の製造を開始し、一回目の納品を終えた数日後、共同開発した食品メーカーから電話が入った。「東日本震災による放射能が海外で懸念されている。落ち着くまで取引きを見合わせたいと言われて、こちらも困っている」。担当者はそう言って、「甲社に製造をストップしてほしい」の一点張りだった。一瞬、M&A仲介会社の担当の顔を思い出した。
結局、その年の売上は前年を割ってしまった。大口と思われた取引きは、在庫を出荷する程度に細々と続いて、これまで同様、なんとか他の売上でぎりぎり食いつなぐような状況だった。
その後、海外向け商品は放射能問題が落ち着けば再開すると言っても、いつになるかわからない状況。しかも銀行借り入れが以前よりも膨れてしまっている…。一度は断ったM&A仲介会社の担当者は、財務諸表を見て言った。「タイミングを逃してしまったかもしれない。海外の情勢も踏まえて、数カ月前なら社員の継続雇用が可能だったが、今ではもう厳しいかもしれない…」。つまり、既に状況が変化してしまったことでM&A市場に売却案件として乗せること自体が難しいという話であった。
80歳前になる母は引退して民間有料老人ホームに入りたいと話しているが、入居費にあてがう予定の費用は、既に甲社に貸し付けた費用だ。とてもじゃないが返すあてがない。身内からも返済を求められた気分になった。

【社員、情報の流出・・・】

その後も社長は海外向け商品の製造再開にわずかな期待を持っていたが、大々的な再開には至らなかった。日々の営業に駆け回り、「資金繰りのために働いているようなものだ」と漏らすようになった。
その上、さらに社長に追い打ちをかける出来事が起こった。古参社員が若手社員とともに競合他社に引き抜かれて、技術まで流出してしまったことが判明した。社内の雰囲気は怒りに震えたが、それもすぐに無力感へと変わっていった。社長もこれをきっかけに清算しか残されていない現実を受け入れた。そして、早まったことに残った社員への申し訳なさから事情を説明してしまった。
短期間での一連の出来事は、取引先への情報流出へとつながったと思われる。甲社の売掛先企業と買掛先企業の一部で甲社を通さないで債権のやり取りが行われた。結果として、清算処理のために裁判所が介入する前に甲社の資産は大きく棄損することとなった。そして、経営者の判断ミスが大きな棄損につながったとして、回収見込みのない仕入先企業数社から経営者である社長に損害賠償請求を起こされてしまった。
最終的に甲社は清算処理をし、社長個人は自己破産手続きをとった。幸いにも情報流出は故意ではなかったとして、損害賠償請求は免れることができた。しかし、当然担保となっていた自宅を失うとともに、現実として、連帯保証となっていた妻の父親の資産を崩して応じることとなった。

教訓

・売却成立までには時間がかかる。目の前の事業とは別次元で検討すべき。
・感情にもとづく不用意な話は、情報流出や社員の不安を煽ることにつながる。
・それは、価値の棄損をはじめ、第二、第三の新たな被害を生み出すおそれもある。

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