成功例

仲介会社を利用したM&Aの検討
(代表取締役が急死したが、後継者に事業承継の意志がない場合)

名称 食品の輸入販売・加工会社 丙社 設立 1970年代
従業員数 15人 資本金 3,000万円
売上規模 約4億円 経営者年齢 63歳
主な資産 土地・工場・機械設備 株式 代表者80%、妻20%
事業内容 機能性素材および機能性食品の輸入販売、受託加工

※情報はいずれも事業承継前の内容

【創業期の苦労】

代表取締役のJ氏は専門学校を卒業後、健康食品を扱う商社で働いていた。キャリアを積み重ねた後、28歳で遂に機能性食品原料の輸入販売を行う丙社を起業した。「毎日の健康に役立つものを届けたい」。そんな想いから、海外で注目されている商品を日本にも紹介したいと考えていた。
設立当初から、ヨーロッパでとれる高品質の海藻を自分で買い付け、日本国内の機能性食品を扱う企業へ売る。日本と海外を文字通り飛び回り、各国の展示会にも足を運んで新しい素材の買い付けを行った。起業を後押ししてくれた妻は、経理担当として設立当初の一番つらい時期を支えてくれた。
J氏の粘り強い営業努力により、会社は少しずつ業績を伸ばし、取引先を増やしていった。従業員も一人、また一人と増え始めた頃、長男も誕生し、J氏はさらに仕事に注力するようになる。

【輸入販売から加工事業へ】

あるときJ氏は、機能性素材の販売先であった食品メーカーから、「素材の販売だけでなく、御社で加工もできないのか」と相談を受けた。会社設立からすでに10年近くが経過していた。第二の成長期が来たと感じた社長は、設備投資をし、人材を中途採用して新たに機能性素材の加工事業を開始する。
顧客の要望に合ったプランニングと小ロットでの加工に対応するうちに、従来の食品分野の顧客だけでなく、化粧品メーカー、医薬品メーカー等の新たな顧客も開拓できるようになった。丙社では、海藻を自社で乾燥・粉砕させる。特に、丙社が蓄積してきた乾燥技術は顧客から高い評価を得ていた。
その後、健康食品ブームも重なり、丙社は順調に業績を伸ばしていった。年商4億円、優秀な技術者・従業員を15名抱える企業へと成長した。

【父と息子】

一人息子のM氏は、海外を飛び回る父からのお土産の英語の絵本を見て育ち、自然と英語への興味を抱くようになった。大学では英文学部に進んだ。J氏は、息子が幼い頃から、「できればいずれ息子と働いてみたい。そして会社を任せたい」と思っていた。M氏も、いずれは父の会社を継ぐのが自分の道だと思っていた。
しかし、学生時代に学習塾で講師のアルバイトをした経験から、教師への道を志すようになる。そしてM氏は、私立高校の教師となった。毎日遅くまで学校で教材研究を行い、休みの日にも生徒たちの部活動に積極的に関わる熱心な教師だった。J氏は、息子の働きぶりを見ながら、息子に事業を継がすことは自分だけの希望に過ぎない。息子は教師の道をまっとうすることが幸せなのだろうと考えるようになる。
そして、J氏は、できれば社員の中から後継者を育てたいと考え始めた。しかし、社員は技術者として優秀だが、経営を任せるとなると現実的ではなかった。後継者問題についての不安は常にあったが、J氏は63歳とはいえまだまだ健康で業績も安定していたこともあり、後継者のことはいずれ考えようというスタンスであった。

【突然の不運と残された会社】

いつもは若い社員が運転して取引先に移動していたが、その日はJ氏が運転して一人で取引先に向かっていた。そして、不運な交通事故で帰らぬ人となってしまう。あまりに突然のことで、家族も社員も衝撃を隠せなかった。しかし、会社にはいつもと変わらず顧客から注文が入り、問い合わせの電話が鳴る。現場責任者の社員N氏がなんとか指揮をとりながら通常業務が行われたが、いきなりトップ不在となり現場は混乱し始めていた。
残された妻と息子のM氏としては、会社は売却するしかないだろうという結論に至った。妻としては夫を突然亡くし、とても会社を動かせるような気力はなかったし、M氏も悩んだが、会社勤めの経験すらなく、教師の道も諦めることはできなかった。

【仲介会社を利用したM&Aの検討】

M氏は、J氏が後継者問題について悩んでいたときに一度会ったことのあるM&A仲介会社に連絡をとり、今後について相談することにした。M&A仲介会社の担当者O氏は、J氏の訃報に驚きを隠せなかった。
妻には事故の保険金が支払われ、M氏も独り立ちしているので生活には困らない。二人が心配していたのは会社と従業員の将来であり、トップ不在の状態を一刻も早くなんとかしなくてはいけないと考えていた。二人の意向を確認したO氏は、通常であれば売却についての過程で社員に開示はしないが、特別なケースでもあるため、現場責任者で最も社歴の長いN氏にはJ氏の妻、M氏、O氏が同席して売却の件を話した。
N氏は、売却方針を聞いて驚きはしたが、どこかで予想はしていたようであった。後継ぎがいないことに悩むJ氏の姿も見ていたし、技術者の自分が会社を引っ張っていくのは難しいと感じていたからだ。従業員の継続雇用が約束されるなら、一刻も早く譲渡先を見つけてほしいというのが、N氏の希望でもあった。

【新たなスタート】

丙社としての意向が固まったことを踏まえ、O氏は丙社の同業他社と取引先企業にアプローチを始めた。丙社の取引先としては、食品メーカーをはじめ、医薬品・化粧品・化学メーカー等様々であったが、その中である医薬品メーカー丁社が今回の話に積極的に望んできた。
丁社は、丙社が扱っている海藻からとれる特定の海藻抽出物を利用した医薬品開発にも取り組んでいたのだが、今後の事業展開のため、健康食品の開発にも力を入れたいと考えていた。さらに、業績が好調で財務も健全な丙社は、丁社にとって非常に魅力的だった。また、既に取引先として長年付き合いがあり、優秀な技術者が揃っていることも知っていた。O氏から見ても、丁社なら売却後の事業の相乗効果も見込める良い相手だった。特に、丁社は過去にもある加工会社を買収した経験があり、その加工会社は順調に成長をし始めていた。
交渉はスムーズに進んだ。懸念されていた従業員の継続雇用についても、現在の雇用条件のまま引き継がれることになった。代表取締役が急逝してから約半年後、異例のスピードで無事に契約が締結され、新たな代表取締役が就任。丙社は第二のスタートが始まることとなった。

教訓

大前提として、丙社は、業績・財務とも充実しており、『魅力的な企業』であった。代表取締役が急逝後、価値の”棄損”を最小限にできたことも重要なポイント。
その背景には、残された親族が「従業員の雇用安定」を重視して、速やかに「売却を第一に」と、ぶれない方針を固めたことがあげられる。

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